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慶応元年、初代岡野傅三郎が京都一乗寺で創業。
当時は、官公庁建立による石碑や墓石などの石工事、土木工事をメインに受注します。 -
1885年(明治18年)、数多くある岡野組の施工実績の中でも、特筆すべき工事を受注します。
それは琵琶湖疏水の開設工事(大津蹴上間第一疏水開設工事隧道其他)です。
東京遷都後に衰退し、資源に乏しい狭い盆地に形成された京都を、
たくさんの人々が住み暮らし繁栄する都市に変貌させるためには、
産業の振興が不可欠であり、その期待を一手に引き受ける琵琶湖疏水建設工事を、
岡野傳三郎は多くの請負願があった中、日本を代表する実業家である
大倉喜八郎率いる大倉組商会(現 大成建設)と
藤田傳三郎率いる藤田組(現 フジタ 大和ハウスグループ)とともに
京都建築組と名乗り請け負うことになります。 -
当時の日本では、大型土木工事に対応できる技術力に乏しく、
政府お雇いの外国人技師による設計や指導に基づき進められたものばかりでしたが、
琵琶湖疏水は設計から施工計画、工事に至るまで
すべてが日本人の手によって進められた我が国初の近代的大型土木事業であり、
その他にも日本初、日本一がとされる建造物や手法がこの中で生まれ、
幾多の困難を乗り越えながらも、1891年(明治23年)に完成します。
岡野組の誇りとは、当時もっとも注目された前人未踏の大土木工事を請け負ったこと、
なにより京都の発展に寄与し、1世紀を越え今なお京都市民の暮らしを支える
インフラ工事に果敢に挑んだことであり、
当社が大切にしている「誠実かつ果敢な施工」の原点です。 -
その後、京都三大事業の一つである
第二疏水工事(第二疏水大津蹴上間改修工事)も請け負うことになり、
資材や人員の輸送、電気の使用など第一疏水の恩恵を受け、
この難工事を乗り越えます。
この信頼から、三大事業として謳われた上下水道の敷設、道路の拡築など、
都市形成や人々の生活に必要なインフラ工事、
教育施設の建築工事をはじめとする官公庁発注の建築土木工事を受注、
また1世紀にわたってお付き合いがある
寺社仏閣、民間のお客様とのご縁がこの頃始まり、
岡野組は京都の発展とともに技術力を培い、信頼を積み重ねます。 -
1952年(昭和27年)、岡野組は法人化され、
戦後復興、高度経済成長といった時代背景を受け、
官公庁や公団発注の道路新設・改良、上下水道、河川改修などの
インフラ工事、住宅、学校等の公共施設や文化施設などの新築工事を中心に受注、
新しい時代に向けその技術力を発揮します。
平安建都1200年前後には、
琵琶湖疏水記念館や京都市国際交流会館、京都府立図書館、京都市勧業館(みやこめっせ)、
などの大規模な建築工事に参画し、優良な民間のお客様から新築、リフォームを含め
多種多様な工事をご用命いただくようになりました。 -
また地下鉄、電線共同溝、トンネルや橋梁工事など、
これまで請け負うことがなかった分野の土木工事を受注します。
近年では、これまで以上に顧客様から継続して工事のご依頼をいただきながら、
建築工事では保育園や幼稚園、老健施設などの福祉施設、学校や銀行、病院施設、
工場、マンション、ホテルをはじめ様々な分野の施設を続けて受注、
また大手ゼネコンの専売特許であった
シールド工事などの大型工事も受注する機会に恵まれます。 -
こうして岡野組は1世紀半もの年月の間に、本業に徹し、お客様を大切にし、
誠実かつ果敢な施工を継続したからこそ、時代を乗り越え、
年月を積み重ねることができました。
そして、たくさんのお客様とのご縁に恵まれ今日を迎えます。
その感謝の気持ちと、「時代を切り拓く技術力」「努力するからこそ得られる信頼」を
決して忘れることなく、お客様のニーズ、社会のニーズを機敏に捉えながら、
岡野組はまだ見ぬ未来 ―2世紀の扉― へ向かって力強く歩んで参ります。